3月も下旬のことであった。午前2時、気温8度、雨。
YOICHOは広島の山中を歩いていた。
『コンビニはあと10キロないからな。』
こんな過酷な状況の中、なぜYOICHOは歩かなければならなかったのか——。
”非日常を忘れたくても忘れられないのは、人間の常なのでしょうか”
徒歩旅の全体像
長い長い大学生の春休み、広島市の市街地から、岡山県倉敷市児島までの約152km、約6日かけて歩いた。
- 1日目14時 広島発 80km
- 2日目18時 尾道着 28時間
- 3日目21時(?) 尾道発 22㎞
- 4日目4時(?) 東福山着 7時間
- 5日目15時 東福山発 50㎞
- 6日目12時 倉敷児島着 21時間
歩いた距離 152㎞ 歩いた時間 56時間 かかった時間 118時間
※数値は限りなく事実に基づいて記載してありますが、ところどころあやふやです。
なぜ歩いたのか
どうして、わざわざ歩いて行ったんだよ。
それは、悔しさとある強烈な感覚からだった。
夏の経験
実は、そのまえの夏休み、YOICHOは静岡県の掛川から大阪までを歩いていた。
しかし、その時YOICHOは、一緒に歩いた友達に、まさにおんぶにだっこ状態。
かわいい赤ちゃんならまだしも、
足の裏には水ぶくれができ、破裂。膝の裏に激痛が走り、1km進むのに何十分と必要とした。
THEお荷物、お荷物中のお荷物。
悔しくて悔しくてたまらねえ。
だけど、
『二度とやるものか!!!!』
そう思ったのは事実である。
強烈な感覚
非日常を忘れたくても忘れられないのは、人間の常なのでしょうか。その記憶が次第に美化されるのは、人間の進化の結果?危機管理ができないのは、退化ではないか?
不思議とあの頃のことが、懐かしく愛おしく思えてきたのである。歩けなくなるほどにまでになった脚も、あの時はつらかったんだよなあ笑。路上に座り込んで、うとうとした時のことも、あんときは寒かったなあ笑、と。まるで遠くを見つめて子供のころを懐かしむおやじのように。
旅が終わり、しばらくすると、
また、あのつらさを、あの悔しさを、また経験したいと思うようになった。
馬鹿なのだろうか。
出会い
久しぶりに中学時代の友達から連絡がきた。春休みに”旅行”しようと約束していた友達だ。
近況報告も兼ねて、その夏の旅の話をすると、彼はこう言ったのである。
『え、俺も興味あるわ。』
記憶が美化される前に言ってほしかった。
『じゃあ、やるか。』
こうしてYOICHOは、くそ寒い中、合羽を着て、山の夜道を歩くことになったのだった。
広島徒歩旅のきっかけとなった、夏の徒歩旅の一枚。天竜川河川敷からパシャリ、川の先は静岡県の浜松市。三本あった橋のどれを渡るのか?
川一つ渡るのも徒歩旅のビッグイベントなのだ。
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